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史実は小説より奇なり

933 :人間七七四年:2012/06/17(日) 21:42:27.73 ID:JSQOw38f
井伊直政と柏木源藤の話が出ていたので。

関ヶ原にていよいよ勝敗は決し、西軍の島津勢もいよいよ退却を余儀なくされた。
このとき徳川家中随一の猛将、井伊直政は「我こそ義弘を討ち取り家康公の命に沿わん」と
赤備えを率いて猛然と追撃を開始した。
島津の槍衾を払い除けていよいよ義弘に肉薄せん、と言うときに彼を狙撃し落馬せしめたのは
島津家中の柏木源藤なるものであった。

『わが殿を落馬せしめるとはいったい何者だ!』
彼の名乗りを待つ井伊勢であったが源藤は沈黙したままであった。

彼は島津家重臣(川上四郎兵衛)の郎党であり、
直接名を名乗るのは憚られる身だったのである。

だが、敵方の大将を打ち倒しておいて名乗らないわけにも行かない。
そこで源藤、必死に考えた。
(いきなり「我こそは柏木源藤!」と名乗ったのでは主家に憚りがある…
 あ、そうか、自分が仕える主人の名前を明らかにした上で俺の名を名乗れば問題は無いな。
 「我こそは川上四郎兵衛が家臣、柏木源籐」よし、これでいこう!)

考えをまとめた源藤は大声で叫んだ
「我こそは川上シロンペロン家臣、柏木源トツ!」

…噛んじゃった。

残念ながら訂正は認められず、彼は復讐に燃える井伊勢から追いまくられ
先に槍衾を作っていた仲間たちと合流して戦場を落ち延びた。

その後、義弘の供をして薩摩まで無事に帰還した彼だが
徳川四天王の一人を落馬せしめる、と言う武功とともに
先の名乗りを噛んじゃった件も薩摩に広まり、今日まで郷土資料に記されているのである。
(ホントに書かれてます)






934 :人間七七四年:2012/06/17(日) 21:48:43.70 ID:mL/q+3ri
そら出家するわ

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